「市民」ということ

 

 

「市民派」という意味がさーぱりわからなくて、ここ数日もんもんと意味を考えていたんやけど、インターネットはすごい。調べたら、意味がわかりました。さっさと調べれば良かったです。

「市民は弱者。とにかく権力に対して闘う」ということでした。ウーマンリブ(弱い立場、被害者である)女性の権利主張みたいな。

 そこが私の考えと違いました。

権力は市民にあるんやもん。
市民を弱者やと思ったら、そこから負けてる。
女性は圧倒的に素晴らしい。とももは思っています。

だから、全然発想が違うというか逆転してて。
だから、意味がさっぱりわからなかった、ということがわかりました。
そして、以前60代の市民活動をされている団体のみなさまと話が通じない雰囲気になってしまった理由もわかりました。

年代による共通言語みたいなもんなんやなあ。

「市民派議員」がそういうな定義やったら
私は「市民派議員」やないなあと思う。
かといって、「族議員」でも決してないし。

議員は市民の代表として行政のチェックをさせて頂いたり政策提案をさしてもらっています。そして、市民と同等に「偉い」と私は思っています。議員は市民そのものです。

高島市議会、議員になってわかったことは
どの議員も心よりの善意から、それぞれの市民の立場で、市民の声を熱心に議会に届けていらっしゃいます。どの議員もそれぞれ心から尊敬できます。そら、自民党やったり政党はありますが、国会議員とはちがって派閥もないです。会派はありますが、それは志を同じくするものが集まって政策提案グループを形成することに、なんら悪いもんはないし、むしろ市民のよりよい暮らしのための政策提案に大いに役立つと私は思います。(当初は会派の意味がわかりませんでしたが、所属してその重要な意味がわかりました。)そして所属に関わらず議員ひとりひとりの意見や発言が尊重されていると思います。

友人の竹田克也さんより

 

 ベーシックインカムを調べまくっていた時に知り合ったお友達は、現在高島市の市議会議員をやっています。
ベーシックインカムは基本所得として数万円が毎月全国民に配布されるというシステムです。その事を調べているうちにたどり着いた勉強会で彼女の「絵本」に出会いました。
そして程なく本人と出会ったのは、何とNHKのスタジオ。「日本のこれから」という番組に何故か出演することになり、生放送のスタジオでご一緒したのでした。しかも地方から出てきた彼女を案内していたのが、町田市で地域通貨をやっている方でこれまた直前にお知り合いになっていた方。
なんとも数奇な偶然の中知り合いになった彼女は、とても地元を愛し、人を愛する人です。
そして、とてもまっとうな「市民」であると感じます。
市議会議員の仕事も、自分の思いをしっかりと出して真摯に取り組んでいる姿は、同年代としてとても尊敬しています。

そんな彼女が思う「市民」という事を、今日書いていたのでシェアします。

僕も彼女に賛成です。

都知事選挙も、余り好ましくない結果でありましたが、舛添さんを支配者として都知事にしたのではありません。あくまでも代表者。そこでどういう仕事をするかをしっかりと見つめて、必要ならなんとかメッセージを送って、その前に自分たちで東京という社会を担うという気持ちを持つこと、そんな事が「市民」なのだと思うな。